日本語の「みる」という言葉は、いくつかの漢字が当てはまる。
「見る」が一般的でたいていはこれで事足りる。
「観る」という表現もある。この字は観賞とか観光でも使われるが、
「見る」がどちらかというと受動的に目に入ってしまうというニュアンスに対して、「観る」は能動的な目の動きだ。
しっかりと意識して対象をじっくりと「みる」、それが「観る」である。
野良猫だったニャンコを外でみていたときは「見る」だった。
しかし、飼うことを決めて家の中に招きいれたとき、「観る」に変わった。今にして思うと。
家の敷居を跨いだニャンコと三匹の子猫たちも、新しく住処となる場所を探検しながら「観て」いたのだろう。
彼女たちが家猫になったことで、考えなくてはならない課題ができた。
トイレの問題、爪とぎの問題、食事のマナーの問題など。我が家は猫ファーストの家になった。
当時は古民家といってよい状態だった家屋は、現在はリフォームを施し梁の上の天井板を外して屋根までの空間を開放した。
平屋からロフトに作り変え、猫はその梁の上を歩けるようにもなった。人も気合いを入れれば歩けるが、そんな気合いを入れたことはまだない。
合わせて壁面には猫用に階段状の板をはめ込み、遊べる空間も増やした。
以前から市販の猫タワーも置いていたが、同居人となったニャンコたちを真剣にみるようになってわかったことがある。
歩いているときの猫の視線は人の膝くらいなものだ。
しかし、家の中では登れるところはピョンと飛び乗るし、外でも考えてみれば木登りや屋根に上がったりもする。
人の視線よりも随分と高い所からもこの世界をみているのだ。
猫の視野はとても広い。猫が哲学者とも言われる所以が納得できる。
猫を猫としてみているときは癒しやかわいい対象の同居人だ。
ただ、猫と目を合わせて同期させてみると家の中の様子も違ってみえる。
「猫をみる暮らし」は「猫になる暮らし」にもなるのだ。
猫の目が私を魅了する理由のひとつが、そこにある。
【はじめての猫暮らし】
島根で暮らす夫婦と猫との暮らしをエッセイで綴っていきます。
2012年、田舎暮らしをスタートさせた中で野良猫 ニャンコ、チビスケと出会いました。