「光の記憶 森山大道」展へ~島根県立美術館~作品493点!!およそ60年にわたる写真家としての歩みに圧倒!

「光の記憶 森山大道」展美術
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島根県立美術館で開催中の「光の記憶 森山大道」展に行ってきました。
瞬間を記録し、記憶に残る写真にするにはとにかく撮ることだった・・・と感じました。

ただ、およそ60年にわたる写真家としての歩みを、ひとつの展覧会を見ただけでどこまで理解できるものでしょうか(数日経った今でも難しい)。
それでも文章の形にせねば興奮が薄れてしまう、と被写体として突き動かされているような気分で書いてみることにします。

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写真家は陶芸家に似ている。

そう思ったのは、帰りの車の中でした。最近、小説家や脚本家のトークショーに行く機会があって、両者は同じように文章を書く仕事なのに随分と違うもんだなと感じていました。
あくまでも私見ですけど、小説家は画家に似ていて、脚本家は作曲家に似ています。前者はどこから始めて、どこで終わらせるのかをその手段(表現媒体)の上で完全に委ねられています。
対して後者は、自身の仕事においてのスタートとエンドはありますが、発表に際してはそもそもが映像であったり、コンサートであったり、最初から別の人々にバトンタッチして作品が完成されます。
それでは、写真家はどうだろう?いったい、どんな職業と似ているのだろうか?
この企画展に行く前にNHKの「ハイビジョン特集 その路地を右へ~森山大道・東京を撮る(2009)」を見る機会がありました(2023/8/19放送)。つまり、予習ですね。
東京工芸大学の客員教授(2008年当時)として写真学科の学生たちに講義をする様子が流れて、そこで森山大道氏はとにかく量を撮ることが肝心だと説いている場面が印象に残っています。
たくさん撮影して、その中からこれぞと思う一枚を選ぶ。その姿勢はまるで、いくつもの陶器を焼いて、その中から自分の目にかなった作品だけを残す陶芸家のようです。
もちろんすべての写真家に当てはまることではないですけど、写真家と陶芸家は同じクリエイティブの方向性な気がしました。
また、路地を歩きながら撮影をしている姿は、スナップ写真の言葉さながら、瞬時にカメラを構える様子を見るとまるで西部劇のガンマンのようにも思えました。

その瞬間、その場所でカメラを持っていること。

「光の記憶 森山大道」展

本展は森山大道氏のおよそ60年の歴史を振り返る回顧展です。時代や年齢ごとの彼の写真への向き合い方が年代順に展示されています。
その中には哲学的と言うか、思想的と言うべきか、私が思っているスナップ写真とはだいぶ違う雰囲気のものもありました。また、よくこんな場面を写真に収められたものだ、と思うものもありました。
そして、はたと気付きます。その瞬間、その場所でいつでもすぐにカメラを構えられるようにしていたんだと。有名な「10・21」と呼ばれる1969年の新宿での騒乱の様子を捉えた写真も展示されていました。
当たり前な話しですが、その時、その場所で、カメラを手にしていたから撮れた一枚です。偶然に撮れちゃいました、みたいな感じだったら、こんなにも多くの人を揺さぶる一枚にはならなかったのではないでしょうか。
偶然ではなく、何かが起きると確信があってその瞬間を逃すまいと気構えていたからこそ撮影できた写真な気がします。 
普段、スマホで撮影するとき、カメラアプリがすぐに見つからず、例えば飼い猫の良い写真を撮り逃したこと数知れず。
量を撮影することが重要だと述べる森山大道氏ですが、何か良い被写体はないかなとぶらぶらと路上を歩いているわけではないのだと思います。
前述のテレビ番組ではインタビューなど飄々とした感じでしたが、実際はものすごい集中力と緊張感であらゆるものを見ていたのだと思います。
面白い出来事や光景を待つのではなく、日常の風景や何気ない人々の表情や動作をいかにして「この1枚」に仕立て上げるのかに全力を注いでいると思い至りました。

展覧会を見終わって。

一階の展示スペースだけではなく、二階の普段は常設展示用の部屋の一部も使って開催されたため、その枚数・分量に圧倒されました。
正直なところ、一枚一枚に真剣に向き合って見たら、とても体も頭も疲れてしまいます。だから、ちょっと距離を取ってみたりして、あれ気になると感じた写真には、スッと近づいてみたりしました。
会場を出た後で、近年の作品、特にカラー写真がもっと見てみたいと思いました。何と言っても未だ現役のカメラマンですから。
これぞ森山大道の真骨頂と呼ばれる名作も良いですが、現在進行の今をどう捉えているのかもすごく気になります。 
カラー写真といえば、『森山大道 路上スナップのススメ』(著:森山大道 仲本剛 / 光文社新書)という書籍を前もって読んでみました(これも予習です)。
そこでデジタルカメラを本格的に使うようになった話が載っていました。その中で、これが森山大道の写真への一つの向き合い方なのか、と思ったことがあります。
それはデジカメで撮った写真をすぐにその場で確認しないこと。見てしまうと、イマイチだと感じたら消去してしまう行為がまたよろしくないと言うのです。
時間が経って見返せば意外と良い場合もあって、「撮ったものをいちいち見返すな、と言いたい」というメッセージが響きました。 

島根県にも縁がある。

最後にお伝えしておきたいことは、森山大道氏は島根県に所縁のある方だということです。
大阪府池田市の生まれ(1938~)ですが、幼少期と少年期に島根県邇摩(にま)郡仁摩(にま)町宅野(現・大田市)に父親の実家があり、暮らしていました。
そして、まさに『宅野』(2005)という写真集が作られました。その一部は2階の展示室に飾ってあります。
宅野は日本海に面した静かなところです。島根県だったら、松江城とか出雲大社とか石見銀山とかあるのに、子ども時代に暮らした場所を本当に普通の町を撮影されたのです。
インパクトや派手さのある作品ではないのですが、大切している場所を大切に撮った心情が伝わってくる写真でした。
森山大道氏は写真集や書籍も数多く出版されているので、これからじっくりと読んでいきたいと思っています。

「光の記憶 森山大道」展について

「光の記憶 森山大道」展

「光の記憶 森山大道」展

会期 2023/4/12(水)~6/26(月)
会場 島根県立美術館